第一回読書会レポート


遅くなりましたが、読書会のレポートです。

オープニングイベントとして開いた初の読書会は、
沖縄よりOMAR BOOKS川端明美さんをお招きしての開催でした。
定員には満たなかったのですが、その分、お一人お一人の感想や
川端さんから提案された心をくすぐるような質問に答える時間を
たっぷりと取ることができ、みなさん「楽しかったー!」と
感激の言葉を寄せてくださいました。

わたしはというと、ブログで宣言?したとおり、本を読まずに参加するという、
主催者にはあるまじきスタンスをとってみたのですが、だいじょうぶ。
最高に楽しく、課題本への興味が深まり、今後の読書会でも、
読まずに参加されてもOKです、という立札を継続することを決めたくらいです。
そして、このレポートもその読まずに参加した状態で綴ります(笑)
なので、ちょっとおかしなことになっているかもしれません。

課題図書「ある家族の会話」は、著者ナタリア・ギンズブルグの
少女時代を綴った自伝かとおもわれたのですが、
自己の感情を一切省いたものであるため、自伝的要素よりも、
著者のいう「わたしの家族の歴史として書かれたもの」そのものだったようです。

家族の生き生きとした様は、タイトルの通り「会話」によって描かれ、また、
しぐさやくせなどの描写のみで、一人一人の性質を強く印象付けます。
しかしここに著者ナタリア自身の姿はありません。
ナタリアを感じるとすれば眼差しだけであったというのがみなさんの感想で、
この小説を一言で表すとすれば、「人へのまなざし」と回答された方もありました。
少女時代の姿を知りたいわたしは、ナタリアはどんな思いで?どんな風に?
もの陰から見ていたとか?例えば服装でもいいし。逆に家族はナタリアをどう
見ていたんだろう?と稚拙な質問をぶつけてみましたが、
やはり、ナタリアに関する情報は、「一切ないのです」とのことで、
一体この小説はどうやって構成されているのだろうかと一番の興味となりました。

また、読書家とは言えないわたしは、歴史的背景など考えなく小説を読むほうなんですが、
みなさんの感想を聞いていると、当時のイタリアが反ファシスト運動のさなかであったことを
隅に留め、争いを悲惨に描いてはいないが、そのような激しさがあったであろう背景と
家族の日常(個性的な人々ではあるが)とのギャップを感じながら読み進めていることにも
感心しきりでした。日常を綴ることこそ、時代背景を浮き立たせるものなのかもしれないと
おもわせてもくれました。

背景といえば、現代の日本社会において空気を読まなければいけない風潮に
辟易ぎみであったが、この時代にあって、あえて空気を読まない姿勢を
みせつけてくれたことの爽快さには解放感を覚えたと、
川端さんのいう「一冊の本から多様な声を聞く」という言葉のとおり、
様々な感想が並びました。

さらに、ナタリアの力量は、たいくつになりがちな日常を面白く描くこと。
陽気ではないが暗くはない、クスリと笑ってしまう場面もあるという読後感の好い小説。
客観的に描きながらもナタリアのまなざしに優しさがあったことを示しているのでしょうね。
そしてもちろんナタリアの姿勢を汲み取った須賀敦子さんの名訳が大きいところだと。

読書会では、感想以外にも長女パオラのおもいついた遊びを実際やってみました。
自分を、「鉱物・植物・動物」に例えるとどれに当てはまるかというものです。
鉱物は、無味乾燥。植物は、空想系。動物は本能的な感覚。というもので、
わたしは、純粋に「植物」一本で答えましたが、
鉱物と植物を足した人や、柔らかい鉱植物と答えた方、パーセンテージで答えた方、
動物と答えようとしたが、みなさんの回答を聞いて答えが変化した方、
友人との関わりから当てはめてみた方、植物でも雑草のほうの植物とか、
植物は食べられてしまうし・・・、という、まさに本好きな方ならではのご回答で、
読書会で一番盛り上がった場面かもしれません。

そして途中には、お茶会のように、美味しいお菓子と飲み物をいただき、
和やかに読書会は終わりました。
参加されたお客様に恵まれた会であったと、川端さんとわたしと、
何度もそのことで喜びほっとし乾杯したものです。
改めて、ありがとうございました🌼
再現したいくらいに楽しい「本の時間」でした。ぜひまた、お逢いしましょう ^^


読書会の風景を写真に収めるのをうっかり忘れてしまいましたが、
OMAR BOOKSさんのブログでちらりと見ることができます。







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